ジョルジュ・サンドはショパンの音楽を聴くと物悲しい不思議な気持ちになると言ったそうです。
僕は子供の頃からショパンには少なからず思い入れがあったように思います。
しかし、それはピアノを弾く人間が誰しもそうであるようにショパンの音楽へのある種の憧れのようなものだったのかもしれません。
僕がショパンの音楽を聴いて心から感動を覚えたのは、もっと後のことです。
ショパンを演奏する際に重要なキーワードは「シンプル」であること。
ショパンの楽譜を見ていて感じることがあります。
ショパンの音楽というのはピアニストのエゴを受け付けないのではないか、もしくは、強烈な個性を受け入れるだけのキャパシティがないのではないか、などと思ってしまうのです。
個性というのは大切ですが、それは無理やり作り出すものではありません。何か人と違う特別なことをしなくてはと恣意的に過ぎる演奏がショパンの曲と相容れない部分、それはショパンの音楽の持つ素朴さではないでしょうか。
現代人は不幸に敏感で幸せに鈍感だと言われます。日進月歩の中で、あらゆるものが完成し、これより先に何を欲すればいいのか、何が売れるのか…先進国の資本主義は行き詰まりだとさえ言われます。
ただでさえ刺激の強い現代社会に生きていると、過度の刺激を求めるあまり、本来大切なものを見失ってしまうことがあります。
そんな現代人の理想がやたらに贅沢を求めるのに対し、ショパンの音楽の矛先は日常的な喜怒哀楽に向いているのだと思います。
まるで「日々の生活の中にも幸せはたくさんあるじゃないか。」と言っているかのようです。
どんよりとした雲がはけて青空が顔を出した瞬間だとか、コーヒーの香る食卓に注ぐ朝の日差しだとか、公園を散歩した時の心地よい風だとか…。
ショパンの音楽がそんな日常的な幸せを大切にするのは、それがショパンの、人生に対する悲痛な叫び、暗鬱、不安、焦燥、哀しみの裏返しであるからなのでしょう。
僕はショパンを聴くと一抹の寂しさを感じます。